初夏のある日、警察署に年齢が九十を優(yōu)に超えた一人の老人が甥っ子の刑事を求めて訪れ、その老人は「人を殺した」とつぶやいた。 語り始めた老人の口からは、一九四五年、太平洋戦爭末期に実在した、小學校を 借りた特殊施設の話を始めたのだ。 そこは、表向きには精神病院と稱されていた。それは、それ程特異な患者が集められた施設であったからだ。 原子爆弾開発間近に解離性同一障害(多重人格)となった荒俁博士。 虛言癥と診斷されたが、戦況を語るその虛言が100%當たると評された「閣下」の名乗る男。 戦闘を放棄し戦爭や軍を批判し精神病扱いをされた、エリート海軍兵の水越。 21世紀の未來の男性と交信していると伝書鳩を飛ばし続けている、真行寺藍。銃恐怖癥のため、発砲することが出來ず、病棟に監(jiān)視に配屬されて若い兵士、菅沼。婦長、梶谷醫(yī)師、真関看護師の三名の醫(yī)療スタッフはそれらの患... (展開全部)
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