舞臺(tái)は江戸時(shí)代、派手な美人畫?役者絵が盛り上がっている文政13年(1830年)。家業(yè)の火消しで生計(jì)を立てる下級(jí)武士?歌川広重は、地味な畫風(fēng)で売れずもがいていた。しかし妻の加代だけは広重を気丈に勵(lì)ましつつ、質(zhì)屋に通い、身を削って彼を支えている。そんなとき、ある版元から渡されたうちわの絵に使われていた舶來(lái)絵具“ベロ藍(lán)”の美しさに衝撃を受けた広重は「この青が活きるのは空!」と叫ぶのだった。そして鬼才?葛飾北斎、同門の歌川國(guó)貞との差を感じつつも、周りの人間に支えられながら己の描きたい絵を追い求めていく。