先の大戦末期に同諸島の魚(yú)釣島沖で日本の疎開(kāi)船が米軍機(jī)に攻撃され、數(shù)十人が犠牲になった事件の映畫(huà)化。映畫(huà)の題材となる事件は昭和20年7月に発生。石垣島から臺(tái)灣に向け航行中の疎開(kāi)船2隻が米軍機(jī)の攻撃を受けて1隻は沈沒(méi)、もう1隻も航行不能に陥り無(wú)人島の魚(yú)釣島に漂著。かつて日本人が生活していた同島には真水はあったが食料がなかったため餓死者も出る事態(tài)に。若者有志8人が助けを求めるため約170キロ離れた石垣島に小舟で向かい、魚(yú)釣島の生存者全員が救助された。