昭和42年(1967)、自民黨?佐藤政権は「沖縄返還」を公約に掲げ、國(guó)內(nèi)世論はこの問題で沸騰していた?!笐闋?zhēng)に負(fù)けても、外交で勝つ」。國(guó)際政治學(xué)者?若泉敬(三上博史)は、尊敬する吉田茂元総理の言葉を引き、東大の後輩でのちに外務(wù)官僚となる谷內(nèi)正太郎(眞島秀和)に、沖縄返還で日本外交の力が試されると説く。 若泉は親交のあった自民黨幹事長(zhǎng)?福田赳夫を介して、佐藤榮作総理(津川雅彥)と密會(huì)。返還交渉について、秘密の特使=密使の仕事を依頼される。 間近に迫った日米首脳會(huì)談で、返還時(shí)期のメドだけでもつけたい佐藤総理。彼は、「ベトナム戦爭(zhēng)の最中に、その前線基地となっている沖縄をアメリカが返すはずがない」と動(dòng)きの鈍い外務(wù)省ルートとは別の突破口を求めていたのだ。 単身ワシントンに向かった若泉は、時(shí)のジョンソン大統(tǒng)領(lǐng)の側(cè)近に働きかけ、「2~3年以內(nèi)に返還時(shí)期のメドを付け... (展開全部)