昭和16年の北支戦線。山岳地帯に潛む敵軍大部隊を包囲すべく、土岐原兵団の矢垣參謀(押本映治)は左翼方面よりこれを攻めることを提案、これに対し杉參謀(中田弘二)は補給線を護るべく反対、激論は続いたが土岐原將軍(阪東妻三郎)の決定は矢垣案の採択であった。兵団主力部隊は早速山を越え、先行部隊は敵兵の侵入を阻む包囲網(wǎng)を作るべく急いだ。しかし殘る右翼部隊は弾薬が盡き果て、そして戦闘司令部が敵軍殘存部隊に包囲され危機に陥った。通信途絶で戦況を前線に伝えられない杉參謀は、自ら兵を率いて友軍戦車隊との接觸に向かうのであった。
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